里村紹巴関連エントリー

まずは、一弾 ★「里村紹巴」★

「里村紹巴」 帯や呉服に関わったことのある人であれば、一度は耳にしたことのある言葉、 だと思います。 何?誰? という方も多いと思いますが、 となみ帯の中に、 この名前を見たことのある人もおられると思います。 ...

まずは、一弾 ★「里村紹巴」★

冬の庭三句:里村紹巴から健忘法師まで

... この句は宗祇と並ぶ安土桃山時代の連歌師里村紹巴の「紹巴富士見道記」の伊勢の巻きに出てくるものです。 紹巴は1602年に没していますが、芭蕉が生まれたのは1644年ですから、芭蕉よりずっと先輩にあたります。 ...

冬の庭三句:里村紹巴から健忘法師まで

直江兼続 忘れられた存在の弟

... 歌の才能に溢れていた様で、1591年(天正19年)連歌師 里村紹巴 の催す連歌会に度々参加し、実頼は『米府侍組由緒』には「能書、連歌の上手」と評されている。 兄の兼続とは非常に仲が良かったようで、常に行動を共にし共に功を上げていった。 ...

直江兼続 忘れられた存在の弟

嘘つきはやっぱりいただけませんね

... 果たして、里村紹巴という 連歌 師が、「蛍は鳴きません」と指摘した。 秀吉 は機嫌が悪くなり、「天下を取った自分が鳴かせようと思えば、蛍にも鳴かせられないこともあるまい」と言い逃れする。「鳴かぬなら鳴かせてみせうほととぎす」の心境である。 ...

嘘つきはやっぱりいただけませんね

正受院

... 93世清庵宗胃を開祖として建立しました。 境内には戦国時代の連歌師である里村紹巴の墓があります。 檀越の蜂屋頼隆は大徳寺125世太素和尚から ... 頼隆は連歌も嗜んでいたそうです。正受院に連歌師の里村紹巴の墓があるのはその縁でしょうか。

正受院

里村紹巴とは?

里村紹巴(さとむらじょうは、大永5年(1525年) - 慶長7年4月14日 (旧暦) 4月14日(1602年6月2日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代の連歌師。里村姓は後世の呼称であり、本姓は松井氏ともいわれる。号は臨江斎・宝珠庵。奈良市 奈良の生れ。
連歌を周桂(しゅうけい)に学び、周桂の死後里村昌休(しょうきゅう)につき、里村家を継いだ。その後公家の三条西公条をはじめ、織田信長・明智光秀・豊臣秀吉・三好長慶・細川幽斎などの武将とも交流を持ち、1582年(天正10年)明智光秀が行った「愛宕百韻」に参加したことは有名である。40歳のとき宗養の死で連歌界の第一人者となるが、1595年(文禄4年)の豊臣秀次事件に連座して近江国園城寺(三井寺)の前に蟄居させられた。連歌の円滑な進行を重んじ、連歌論書「連歌至宝抄」のほか、式目書・式目辞典・古典注釈書などの著作も多く、また多くの作品も残されている。近衛稙家に古今伝授をうけた。門弟には松永貞徳などがいる。

里村紹巴の詳細